吉本隆明

ほんとうの意味で日本人が色というのはじぶんの側に属するんだと、つまり、日常生活の側に属するし、民衆の平凡なる日常の中で、色というのは豊富に氾濫し、豊富に使われなければいけないんだ、あるいは、使われるといいんだというふうに、それをじぶんに許したのは、むしろ明治以降で西欧の染料とか、色彩感覚とか、それがどんどんどんどん入ってきてから、はじめて日本人は色彩というものを日常生活に使っていいんだという考え方になったので、それ以前は、色というものを、日本人は宗教に属する、つまり、神に属するもので人間がそれを使うべきでない。だから、せいぜい使われるのは、神社の森だとか、神を祀った山の上だとか、そういうところにきれいな花の咲く樹を植えたりというようなことは、むしろ、そういうところに使ったので、ほんとうにじぶんの庭に、例えば、桜の花でもなんでもいいですけど、お花見の桜の花みたいなものをじぶんの庭に植えようという考え方をもったのは、たぶん、平安朝時代になってからはじめて、あるいは、奈良朝の末期ぐらいからはじめて、そういうふうになったので、それ以前は桜の樹とか、きれいな花の咲く樹というのは、ぜんぶ神社の社の境内にそれを集めるとか、あるいは、神聖なる山の麓にそれを植えるとか、そういうふうに、つまり、神に属するところにそれは植えるのであって、じぶんの庭に、たとえば、きれいな花の咲く樹を植えてもいいんだというふうに考えだしだのは、平安朝ぐらいになってからであって、そういうふうになってから、それでもわりに一種、神々しい気持ちで、庭の木に咲く花なんかというのを、そういうふうに考えて、そういうふうに植えているというふうな、そういうふうな鑑賞の仕方をしているというようなことが行われてきて、それでむしろ、自然の草花を採ってきて、家の中の仏壇に供えるみたいなふうな、そういう花の見方とか、鑑賞の仕方をするようになったのは、もう明治になってからなんだ、つまり、明治になってから初めて色彩というものを神に属するものじゃなくて、日常生活に誰もが使っていいものであるし、また、誰もが塗っていいものであるし、誰もが植えていいものであるし、誰もが着てもいいものだというふうに考えだしだんだ。それにもかかわらず、日本人の色彩の抑え方というのは、日常生活、つまり、じぶんのものとしての色彩の使い方の抑え方といいましょうか、抑制の仕方というのは著しいので、これは一種、そういう言い方をすれば、柳田国男は天然の禁色だ、つまり、天然によって禁じ、あるいは、神によって禁じられた色であって、それを人間が使っちゃいけないんだというふうに、日本人はむしろ考えていたんだというふうに、そういう言い方をしています。  そのようにして、たとえば、本来ならば、誰それ天皇の御代に誰それが政権をとって、こういう政治をやったとかというような、そういう歴史というものが描かれると同じように、たとえば、そういう色彩というものを、日本人が宗教的な神に属するものだというふうに考えていたときから、それから、これは人間に属するもので日常生活に使っていいんだというふうに考えるようになるまでの色彩についての日本人の心の変化というものをたどれば、やはり、誰それ天皇の御代にこういう戦があって、こういうふうに政権をとってというような、そういう歴史と同じ歴史が日本人の色彩感覚の移り変わりというもので捉えることができるんだということを、『明治大正史』のなかで柳田国男は言っています。